放送日 2019年01月16日
第16回「右側通行」
DJ:このコーナーは、とっても自転車がよく使われているこの尼崎を、さらに自転車のまちにしようという、壮大なプロジェクトをご紹介するコーナーです。
お相手は、尼崎市役所の生活安全課の皆さんです。よろしくお願いします。
市職員A、B、C:よろしくお願いします。
DJ:本日は第16回目です。今日のテーマは何でしょうか?
市職員A:テーマは、ずばり“世界の道路を90%右側通行にした人物”です。
DJ:とてもスケールの大きいテーマですね。詳しく、教えてください。
市職員C:はい。
皆さんよくご存じの通り、日本の道路は左側通行です。しかし、実は、世界の中では少数派なんです。2017年時点で、世界では76の地域と国が日本と同じ左側通行なのに対し、163の国と地域が右側通行を採用しているとのことです。また、世界の道路の総距離としてみてみると、左側通行が約10%に対して、右側通行が約90%で、明らかに右側通行が主流となっています。
DJ:たしかにテレビで外国の道路の映像が流れたときは、右側通行が多いという印象でしたが、なんと、世界の道路の90%以上が右側通行なんですね。
市職員C:はい。実は、この通行方向には、「あるもの」が深く関係しているそうです。
DJ:「あるもの」とは何ですか?
市職員B:それは、「利き手」です。
DJ:「利き手」。
「利き手」といえば、右利きの人が多いことが考えられますが、それが関係しているんですか。
市職員B:正解です。
まず、利き手の割合ですが、今から3万年前頃から、世界人口の約90%が「右利き」で、左利きの割合が右利きより多い民族は世界には存在しないそうです。つまり、世界的に見ても右利きの人が多いということです。
DJ:やっぱり世界的に見ても右利きの人が多いんですね。
では、その右利きと通行方向にはどんな関係があるんですか?
市職員C:右利きの場合、左側の空間よりも、利き手の右側の空間が広くなるように、位置をとるのが合理的だそうです。
だいぶ時代は遡りますが、中世以前の旅路は、極めて危険な環境下にあり、貴族や兵隊ではない一般市民でも、剣や槍などの武器を所持して、盗賊や敵から身を守りながら移動する必要があったそうです。
つまり、前方から来る敵を迎え撃つには、利き手である武器を持つ右側に敵を回した方が都合が良く、鈍い左側が敵から遠ざかって安全なので、左側通行が原則だったそうです。
DJ:あれ?左側通行が原則だったですか?現代とは異なっていたんですね。
市職員B:はい。世界が左側通行だった最古の証として、古代ローマの遺跡から出土したピストン輸送で走っていた荷車の轍(わだち)の跡があります。この轍を詳しく調べてみると、「左側通行」だったことが判明しています。また、古代ギリシャや古代エジプトでも、おおむね左側通行だったことが考古学者や人類学者が明らかにしています。つまり、かつて人類の通行の主流は、右側通行ではなく、左側通行だったのです。
DJ:なるほど。ここで本日のテーマ、「世界の通路を90%右側通行にした人物」が出てくるわけですね。その人物とは一体だれでしょうか?
市職員B:それは、フランスの革命家、ナポレオンです。
DJ:とても有名な人物ですね。
市職員B:はい。
歴史上、ナポレオンは、「史上最大の交通インフラ整備を行った」といわれていて、征服した地域の交通網の開発を積極的に行ったといわれています。1792年、彼が正式に法令でフランス国内外を右側通行にしたという記録も残っています。
実際、世界地図で調べてみるとわかるのですが、現在でも左側通行を採用している国々のほとんどは、ナポレオンに征服されなかったイギリスと、その植民地だったところだそうです。そういう意味では、日本もナポレオンの支配がなかった国のひとつです。
DJ:では、なぜ、ナポレオンは右側通行を採用したのでしょうか。
市職員A:諸説ありますが、「ナポレオンが左利きだったから」という説と「ナポレオンの戦術のため右側通行をとりいれた」という説があるそうです。
DJ:はっきりとした理由はわからないんですね。
では、日本人が左側通行をするようになったのはいつごろからなんでしょう。
市職員A:少なくとも日本人は、江戸時代には左側通行だったようです。それを裏付ける文献として、江戸幕府五代将軍・徳川綱吉の時代に来日したドイツ人医師ケンペルは、当時の日本での見聞の様子について著書『日本誌』に詳細にまとめています。
それによれば、「日本の道路は清潔に保たれていて、行き先を示す標識が設置され、左側通行のルールが徹底されていた」と日本の道路の充実ぶりに驚いた様子を書き記しています。
市職員C:江戸時代の日本には狭い道が多く、そこを歩くのに苦労したのが武士たちでした。彼らは左腰に刀を差しているため、右側を歩くと人とすれ違うときに刀がぶつかってしまうことが多く、喧嘩が絶えなかったのだといいます。この無用な争いを避けるために、侍のルールとして左側通行が定着していったといわれています。そして、江戸幕府が終わり、明治時代に入り、同じ左側通行のイギリスと友好を深めるために、左側通行を正式に交通法として定めたそうです。
DJ:勉強になりました。通行方向だけでも、長い歴史があるんですね。
そして、今年は、尼崎城オープンですが、インバウンドで海外からの観光でたくさんの人が来られたら、根本的なところから交通ルールを理解してもらわないといけませんね。
では最後に告知です。このコーナーではリスナーの皆さんから、自転車にまつわるご意見などを募集します。
テーマはいくつかあるのですが、今回は、「ぜひ自転車で訪れてほしい尼崎のあの場所」です。
車では行けないあのお店、自転車でゆっくり眺めてほしいあの景色などなど、どんどんお寄せ下さい。
(以下、応募方法等の説明)